「火垂るの墓」の切ない物語、覚えていますか?
あの映画の舞台となった場所が、兵庫県西宮市の街中にあるんです。
映画の世界を実際に感じてみたいと思ったことはありませんか?
今回は、映画に登場した場所や、作品をしのぶ記念碑など、西宮に残る「火垂るの墓」の聖地を徹底ガイドします。
聖地巡礼に興味のある方は、ぜひ最後まで読んでくださいね。
火垂るの墓の記念碑が西宮市にある!
「火垂るの墓」の舞台となった西宮市には、映画の世界観を後世に伝えるための記念碑があります。
この記念碑は、映画に登場するニテコ池の近く、満池谷町にある西宮震災記念碑公園の中に建てられています。
記念碑は、映画のワンシーンを彫り込んだ石碑になっています。
火垂るの墓と西宮の関係は?
映画『火垂るの墓』は作家、野坂昭如さんの戦争体験に基づいた短編小説「火垂るの墓」を基に制作されました。
野坂さんは生後間もなく、神戸へ養子として住処を移ってきたそうです。
その後、1945年の神戸大空襲での火災により養父と家を失います。
そこで、親戚のおばさんの家に身を置く事となり、そこから西宮で暮らすようになったのです。
そう!皆さんの記憶にも残っている、清太と節子が暮らした防空壕こそが、西宮市のニテコ池周辺にあったのです!
郷土史家らが調査をすすめた結果、その舞台となったニテコ池を含む、満池谷町(まんちだにちょう)周辺には斜面地形を利用した横穴式の防空壕が10ほど掘られていたということが分かったそう。
そうした経緯から、その地に記念碑を建立することとなったそうです。
火垂るの墓の記念碑はなぜ作られた?
「火垂るの墓」の記念碑が作られたのは、作品が伝える戦争の悲惨さや平和の大切さを後世に語り継ぎたいという強い思いからでした。
特に、作者の野坂昭如さんがこの地で過ごした体験や、作品が多くの人の心に深く残っていることなどが、記念碑建立の大きな後押しとなったそう。
戦争のない平和な世界を願うこの記念碑は、単なる石碑ではなく、多くの人々の想いが詰まったものではないでしょうか。
火垂るの墓の記念碑を大事に永く残していきたいですね。
火垂るの墓 記念碑の場所
記念碑は西宮震災記念公園内にあります。
記念碑へ行くには、阪急電車の苦楽園口駅が最寄り駅です。
そこから徒歩で行くことが最適です。
ルートは下記の通りが歩きやすいルートでおススメです。
以上に添付のGooglemapの案内では所要時間は10分となっていますが、坂道もおおいので実際には15分ほどかかると思います。
駅から記念碑までは、住宅街の中を歩いていきます。
道が少し分かりにくい場所もあるので、上記の地図のとおりに行くと安心です。
道中、映画の舞台となった場所を想像しながら歩くのも楽しいですよね。
目印となるニテコ池は周辺はとても穏やかで、道幅も広く舗装もきれいです。
その為、地元の方々はランニングや散歩コースとして親しんでいます。
筆者もよくジョギングでニテコ池外周を走らせてもらっていますが、ちょうど1周が1km程度なので、走った距離がわかりやすくていいです。
お目当ての記念碑は西宮震災記念公園の奥にありますので、しっかり探してくださいね。
最寄り駅: 阪急電車神戸本線「苦楽園口駅」
所要時間: 駅から歩いて約15分
道中の様子: 静かな住宅街を通る
車での行き方
もちろん車で行くことも可能です。
しかし、記念碑のある西宮震災記念公園には駐車場がありません。
コインパーキングも阪急苦楽園駅周辺にしかありませんので、やはり駅から徒歩がよろしいかと思います。
周辺は住宅街ですので、路上駐車はダメですよ。
苦楽園駅周辺にはたくさんのお店があり、食事やカフェも充実しています。
駅降りてすぐの夙川河川敷などとても情緒があり落ち着くいい雰囲気でお散歩にもおすすめ。
春には桜が満開となり、多くの花見客が訪れる関西では有名なスポットなんです。
海外の方の旅行客も最近では多く訪れています。
お母さんが入院していた病院は「西宮回生病院」
映画の中で、清太と節子のお母さんが入院していた病院は西宮回生病院がモデルになっています。
現在の病院の外観は、老朽化が原因で取り壊され変わってしまっていますが、映画に登場する病院のイメージと重なり、当時の様子を偲ばせてくれます。
映画『火垂るの墓』では、病院近くの海岸で清太と節子が遊ぶシーンもありましたね。
そこは病院すぐの香櫨園浜です。
今では海岸も整備され、面影は松林くらいですが、たくさんの家族連れや子供の遊び場となっています。
火垂るの墓 西宮に残る聖地 まとめ
西宮市には、「火垂るの墓」の舞台となった場所がたくさんあります。
記念碑を訪れたり、映画の舞台となった場所を巡ったりすることで、映画の世界観をより深く味わうことができます。
ぜひ、西宮を訪れて、映画の世界を体験してみてください。
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